池田莉菜の生い立ちと現在・判決後の収監生活と事件の真相

yuro

札幌で起きた悲しい事件で注目される池田莉菜被告。

この記事では、多くの謎に包まれた彼女の生い立ちや中学・高校時代、そして「かわいい」と噂の卒アル写真から衝撃のすっぴんまで、その人物像に深く迫ります。

「りったん」として知られたインスタやTwitterでの姿、金持ちだったという噂の真相とは?詩梨(ことり)ちゃんを巡る事件の判決と、彼女の現在までを徹底解説します。

この記事を読むとわかること
  • 両親との関係が悪く、複雑な家庭環境で育った可能性
  • 中学卒業後に高校へ進学せず、すぐに夜の仕事に就いた経緯
  • 10代から弟の学費を払うなど経済的に困窮していた状況
  • 事件に至る背景となった、彼女の人格形成に影響を与えた要因

スポンサーリンク

なぜこれほど注目される?池田莉菜の人物像と語られる5つの素顔

「札幌2歳児衰弱死事件」の犯人として世に知られた池田莉菜被告。なぜ彼女は、事件後これほどまでに世間の注目を集め続けるのでしょうか。

その理由の一つは、彼女が持つ人物像の、あまりにも大きなギャップにあるのかもしれませんね。

ここでは、「かわいい」と噂された卒アル写真や衝撃的なすっぴん顔、そしてSNSで見せていたもう一つの顔など、語られる複数の素顔から彼女の人物像に迫っていきたいと思います。

名前池田 莉菜(いけだ りな)
生年月日1998年(推定)
年齢21歳(事件発覚当時)
出身地北海道札幌市東区(推定)
出身中学校札幌市立明園中学校
最終学歴中学校卒業(高校へは進学せず)
職業飲食店(キャバクラ)従業員(事件当時)
家族構成娘・詩梨(ことり)ちゃん(当時2歳)、弟
事件名札幌2歳児衰弱死事件
現在の状況懲役9年の実刑判決が確定し、服役中

スポンサーリンク

【卒アル写真】「かわいい」と噂された中学時代と事件のギャップ

池田莉菜被告の中学生時代は、卒業アルバムの写真を見ると「かわいい」と噂される一方、後に起こした事件を考えると、あまりにも大きなギャップに言葉を失いますね。

ごく普通の中学生が、なぜ我が子を衰弱死させるような凄惨な事件の犯人になってしまったのでしょうか。

報道によると、彼女の出身中学は札幌市東区の「札幌市立明園中学校」である可能性が高いようです。

メディアで公開された卒業アルバムの写真を見ると、確かに整った顔立ちで純朴な素顔をしていて、これがあの事件の犯人とはすぐには結びつかないと感じる人も多いでしょう。

当時の彼女を知る後輩の証言によれば、バドミントン部に所属していたとのことで、表向きはごく普通の学校生活を送っていたように思えます。

しかし、その裏側では、すでに後の悲劇につながる問題の芽が育っていたのかもしれません。

例えば、中学時代の友人は「家族の話はしたがらない子だった」と語っており、この頃から家庭内に複雑な事情を抱えていたことが推測されます。

両親が離婚していた、親子関係が良くなかった、など様々な可能性が考えられますが、詳しいことは分かっていません。

ただ、どれだけ複雑な家庭で育ったからといって、それが自分の子どもを虐待し、命を奪っていい理由には絶対になりません

むしろ、自分が辛い思いをした経験があるのなら、我が子にだけは同じ思いをさせたくないと考えるのが自然な親心ではないでしょうか?

彼女の場合、その発想には至らなかった。この点が、多くの人から強い批判を浴びる最大のポイントだと思います。

中学卒業後、高校には進学せずにすぐにススキノのキャバクラで働き始めたという経歴も、彼女が置かれていた状況の厳しさを物語っています。

しかし、その選択が結果的に幼い命を危険にさらし、最終的に悲劇を招く一因となった可能性は否定できないでしょう。

結局のところ、卒アルのかわいらしい姿と、母親としてのあまりにも無責任で残忍な行動との間には、計り知れないほどの闇が広がっていると言えそうです。

見た目の印象がいかに当てにならないか、ということを私たちに突きつけているように感じますね。

衝撃のすっぴん画像は別人?メイクと加工で固められたSNSでの姿

池田莉菜被告について多くの人が衝撃を受けたことの一つに、逮捕時に公開された「すっぴん」の姿と、彼女がSNSに投稿していた写真との、あまりの見た目の違いが挙げられます。

これは単に「メイクってすごいね」という話ではなく、彼女がいかにSNS上で虚像の自分を演出し、現実から目を背けていたかを示しているように思えてなりません。

彼女のインスタグラムを見ると、大きな瞳が印象的な、いわゆる「盛れた」写真がずらりと並んでいます。

これらはおそらく、入念なメイクとスマートフォンの加工アプリを駆使して作り上げられた「作品」なのでしょう。

一方で、逮捕され、連行される際にニュースで流れた彼女の姿は、SNSのキラキラしたイメージとは全く違うものでした。そこにいたのは、メイクが落ちた素顔の、どこにでもいそうな若い女性です。

このあまりのギャップに、ネット上では「整形だったのでは?」という声も一部でありましたが、大半の人は「メイクと加工の力だろう」と冷静に受け止めていたようです。

もちろん、SNSで自分をより良く見せたいという気持ちは、多くの人が持っているものだと思います。問題なのは、見た目が違うことそのものではありません。

彼女がSNSでキラキラした自分を演出することに夢中になる裏で、実の娘である詩梨(ことり)ちゃんが育児放棄と虐待によって苦しみ、命を落としていったという厳然たる事実です。

虚像の自分を着飾る時間と労力があったのなら、なぜそのほんの一部でも我が子のために使えなかったのか。ここが、どうしても理解に苦しむ部分です。

言ってしまえば、彼女にとってSNSは、過酷な現実から逃避するための大切な場所だったのかもしれません。

しかし、その逃避の代償が、守るべき我が子の命だったことを考えると、その罪はあまりにも重いと言わざるを得ないでしょう。

結局、SNSで作り上げた虚像とすっぴんという現実のギャップは、彼女の歪んだ心のありようをそのまま映し出していたのかもしれませんね。

スポンサーリンク

特定されたインスタ・Twitter・Facebook。「りったん」としてのもう一つの顔

事件が発覚した後、池田莉菜被告のものとされるInstagramやTwitter、FacebookといったSNSアカウントが次々と特定されました。

そこには「りったん」という愛称で呼ばれ、友人たちと楽しそうに過ごす彼女の、もう一つの顔がありました。

このSNS上での姿は、事件の悲惨さとはあまりにもかけ離れており、多くの人に大きな衝撃を与えたようです。

特定されたアカウントを覗いてみると、友人との交流や、勤務先だったキャバクラに関する投稿が目立ちます。一見すると、若者らしい日常がそこにあるだけです。

しかし、その裏で凄惨な虐待が行われていたという事実を知った上で見ると、全ての投稿が空々しく、偽りに満ちたものに見えてきます。

特に、娘の詩梨ちゃんに関する投稿は、その欺瞞性を象徴していると言えるでしょう。

過去には、詩梨ちゃんの写真と共に「めんこい(かわいい)」と投稿するなど、表向きは愛情深い母親であるかのように振る舞っていました。

しかし、実際には育児を放棄し、満足な食事すら与えずにいたのですから、これは世間の目を欺くためのパフォーマンスだったと断じられても仕方ないと思います。

また、Twitterでは「弟の高校受験料を振り込んだ」といった趣旨のツイートも見つかっています。これだけを見ると、家族思いのしっかりしたお姉さんのように感じられるかもしれません。

ですが、見方を変えれば、本来は親が負担すべきものを、まだ若い彼女が支払わなければならないほど、家庭環境が破綻していたとも考えられます。

いずれにしても、彼女がSNSで見せていた「りったん」としての顔は、現実の姿とはかけ離れた虚像でした。

SNSを、虐待の事実を隠し、周囲に順調な生活を送っているように見せかけるためのカモフラージュとして利用していたのでしょう。

キラキラした投稿の裏側で、声も上げられずに衰弱していく小さな命があったことを思うと、強い憤りを感じずにはいられませんね。

金持ちだった?弟の学費を払う生活とススキノでの夜の仕事

池田莉菜被告について調べていると「もしかして金持ちだった?」なんていう噂がチラホラ出てきたりしますが、その実態は全く違っていたと考えられますね。

彼女が弟の学費を払っていたという事実がある一方で、ススキノのキャバクラで働いていた生活は、お世辞にも裕福とは言えず、むしろ常にギリギリの状態だったのではないでしょうか。

まず、彼女の過去のツイートから「弟の高校受験料を振り込んだ」という話が広まっています。これだけを切り取ると「若いのに弟思いの優しいお姉さんだな」なんて美談に聞こえるかもしれません。

でも、ちょっと考えてみてください。本来、子どもの学費というのは親が責任を持って支払うものですよね?

それを当時まだ10代だった彼女が肩代わりしていたということは、家庭が経済的にかなり困窮していて、正常に機能していなかった可能性が高いと思われます。

これを「金持ち」の証拠と見るのは、あまりにも無理があるでしょう。

そして、彼女は中学を卒業すると、すぐに札幌最大の繁華街であるススキノのキャバクラで働き始めています。

18歳で詩梨ちゃんを出産し、シングルマザーとなった彼女が、幼い子どもを抱えながら生きていくためには、高収入が見込める夜の世界に頼るしかなかった。そう考えるのが自然な流れだと思います。

しかし、ここからが問題です。SNSでは華やかな生活を演出しながら、実際には託児所に預ける費用を惜しんで、詩梨ちゃんを家にたった一人で留守番させていたというのです。

もし本当にお金に余裕があったのなら、こんな危険なことをするはずがありません。

結局、彼女は自分を着飾ったり、交際相手と遊んだりするためのお金は惜しまなくても、子どもの安全や成長のために必要なお金は後回しにしていた。

この一点だけでも、母親としての資質が決定的に欠けていたと言わざるを得ません。弟の学費を払う責任感と、我が子への養育責任の放棄。この矛盾した行動には、本当に呆れてしまいますね。

スポンサーリンク

出身中学は札幌市立明園中学校。高校へ進学しなかった理由とは?

出典:札幌市立明園中学校HP

池田莉菜被告の経歴をたどると、札幌市立明園中学校を卒業した後、高校には進学していないことが分かります。

多くの同級生が当たり前のように高校生活を送る中、なぜ彼女はその道を選ばなかったのでしょうか。その背景には、やはり彼女が置かれていた複雑な家庭環境や、少し歪んでしまった価値観が大きく影響していたと考えられますね。

彼女は中学を卒業すると、時間を置かずにススキノの繁華街で働き始めています。

この事実から推測できるのは、彼女にとって学業を続けることよりも、目の前の現金を手にして、親の干渉から逃れて自立することの方が重要だったということです。

高校に進学しなかった明確な理由は本人にしか分かりませんが、おそらくいくつかの要因が絡み合っていたのでしょう。一つは、やはり家庭の経済的な問題です。

前述の通り、弟の学費すら彼女が負担していたような状況ですから、自身の進学費用を家庭に期待することは難しかったのかもしれません。

あるいは、彼女自身が家計を支えるために、一刻も早く働く必要があったとも考えられます。

もう一つの可能性として、彼女自身の価値観の問題も大きいと思います。

学校というルールに縛られた場所から抜け出して、早く大人のように自由にお金を稼ぎ、遊びたいという気持ちが強かったのではないでしょうか。

10代半ばという多感な時期に、夜の華やかな世界はとても魅力的に見えたのかもしれません。ただ、もし彼女が高校に進学していたら、その後の人生は少し違っていたかもしれない、と考えてしまいます。

もちろん、これは結果論に過ぎません。ですが、高校というコミュニティの中で、違う価値観を持つ友人や、時には親身になってくれる先生と出会う機会があったかもしれません。

あまりにも早く、特殊な夜の世界という環境に身を置いてしまったことが、彼女の視野を狭め、社会のルールや親としての責任感を学ぶ機会を奪ってしまった。

そう思えてならないのです。学歴が全てではありませんが、彼女は子どもを育てる上で最低限必要な知識や常識を身につける前に、あまりにも無防備な状態で母親になってしまったのかもしれませんね。

悲劇の真相とその後・池田莉菜の現在と裁判の行方

彼女の人物像を紐解いた上で、ここでは事件そのものの真相と、その後の悲しい現実に焦点を当てていきます。この痛ましい事件は、なぜ防ぐことができなかったのでしょうか。

そこには、育児を放棄した親の責任はもちろん、行政の信じがたい対応の問題点も見えてきます。

札幌地裁で下された判決と、控訴審の行方、そして刑が確定した彼女の「現在」の生活についても詳しく解説します。

スポンサーリンク

札幌2歳児衰弱死事件の概要。なぜ詩梨(ことり)ちゃんは救えなかったのか

「札幌2歳児衰弱死事件」は、母親である池田莉菜被告と、その交際相手の藤原一弥被告が、当時わずか2歳だった池田詩梨ちゃんの命を虐待の末に奪った、あまりにも痛ましく、そして腹立たしい事件です。

この事件について知れば知るほど悔やまれるのは、詩梨ちゃんの命は「救えたはずだった」という厳然たる事実です。

事件が発覚したのは2019年6月5日の早朝、池田被告からの「子どもの様子がおかしい」という119番通報がきっかけでした。

しかし、救急隊がマンションに駆けつけた時、詩梨ちゃんはすでに心肺停止の状態

体重は同じ年齢の子どもの半分ほどしかない約6kgまでやせ細り、体には殴られたような無数のアザ、さらにはタバコの火を押し付けられたとみられる火傷の痕までありました。

この姿を見ただけで、日常的に凄惨な虐待が行われていたことは誰の目にも明らかでした。

信じられないことに、事件が起こる半年以上も前から、児童相談所や警察には何度もSOSのサインが送られていたのです。

「アパートから子どもの泣き叫ぶ声がやまない」「母親が託児所に何日も子どもを迎えに来ない」。

こうした周囲からの通報を受け、関係機関の職員が自宅を訪問することもありました。

しかし、池田被告が「虐待はしていない」と嘘をつくと、それ以上強く踏み込むことができず、「虐待の疑いなし」と判断してしまったのです。

特に致命的だったのは、詩梨ちゃんが亡くなる約2週間前の警察官による訪問です。

この時、警察官は詩梨ちゃんの頬のアザや足の火傷をその目で確認していました。

にもかかわらず、「ヘアアイロンを踏んだだけ」という池田被告のありきたりな言い訳を信じ込み、強制的に保護するチャンスを逃してしまったのです。

出典:キャリアパークエージェント

この対応は、あまりにもお粗末で、無責任だったと言わざるを得ません。もちろん、最大の罪は、育児を放棄し、暴力を振るい続けた池田被告と藤原被告にあります。

裁判では互いに「自分じゃない、あいつがやった」と責任をなすりつけ合う醜態をさらし、反省の色は微塵も感じられませんでした。

彼らの身勝手な行動が詩梨ちゃんの命を奪ったことは、絶対に許されることではありません。この事件は、鬼畜のような犯人たちと、SOSを見過ごした行政の両方の問題が重なって起きた悲劇なのです。

複雑な家庭環境が影響?語られない両親との関係と彼女の生い立ち

池田莉菜被告が、なぜ我が子に対してあそこまで非情になれたのか。その根源を探ると、やはり彼女自身の「生い立ち」や「複雑な家庭環境」が影を落としているように思えます。

しかし、どんなに辛い過去があったとしても、それが幼い命を奪っていい理由には絶対になりません。

裁判などを通じて断片的に明らかになった情報によると、彼女の家庭環境は決して穏やかなものではなかったようです。

中学時代の後輩は「彼女は家族の話をしたがらなかった」と証言しており、この頃から家庭内に触れられたくない事情があったことがうかがえます。

両親が離婚していたという噂もありますし、特に父親との関係は険悪だったようで、過去のSNSでは父親を「クズ」と表現するなど、強い嫌悪感を示していました。

また、母親との関係も複雑です。詩梨ちゃんが生まれた当初は母親も育児を手伝っていたようですが、池田被告が交際相手の藤原被告と同居を始めてから関係が悪化。

裁判ではその母親が証言台に立ち、娘と距離ができてしまっていたと悲痛な表情で語っていました。

さらに、彼女が弟の高校の受験料を支払っていたという事実は、彼女が10代の頃から「ヤングケアラー」に近い役割を担わされていた可能性を示唆しています。

家庭が経済的にも精神的にも機能不全に陥っていた中で、彼女自身も被害者の一面を持っていたのかもしれません。

ですが、だからこそ、自分はそうならない、自分の子どもには同じ思いをさせない、と強く思うべきではなかったのでしょうか。

彼女は「負の連鎖」を断ち切るどころか、より悲惨な形で次の世代に連鎖させてしまった。ここに、彼女の人間としての根本的な欠陥があるように思えてなりません。

どんな背景があろうとも、犯した罪の重さが軽くなることは決してないのです。

スポンサーリンク

懲役9年の判決を不服とし控訴。札幌地裁の判決と裁判の争点

札幌地裁が池田莉菜被告に下した判決は「懲役9年」。求刑が14年だったことを考えると、一部では「軽すぎる」との声も上がりました。

そして、驚くべきことに、彼女自身はこの判決を不服として控訴したのです。裁判を通して見えてきたのは、最後まで罪と向き合わず、責任から逃れようとするあまりにも醜い姿でした。

裁判での最大の争点は、詩梨ちゃんの死因が「衰弱死」だったのか、それとも池田被告側が主張した「窒息死」だったのか、という点でした。

検察側は、長期間にわたり満足な食事を与えなかったことによる「保護責任者遺棄致死」、つまり育児放棄による衰弱死だと主張。

一方、池田被告の弁護側は「食事は与えていたが、交際相手の藤原被告の暴力の影響で詩梨ちゃんが食べられなくなり、最後は食べ物を喉に詰まらせて窒息死した」として、無罪を訴えました。

これは、全ての責任を藤原被告一人に押し付けようとする、あまりに虫のいい主張と言えるでしょう。

もちろん、法廷では藤原被告側も「虐待の主犯は池田被告だ」と反論し、泥沼の責任のなすりつけ合いが繰り広げられました。

その姿は、まさに醜悪そのもの。

結局、札幌地裁は詩梨ちゃんの死因を「衰弱死」と認定し、「交際相手との関係や遊びを優先し、母親として最も基本的な責務を果たさなかったことは誠に悪質」として、池田被告に懲役9年の実刑判決を言い渡しました。

しかし、彼女はこの司法の判断を受け入れず控訴。

ですが、当然ながらそんな主張が通るはずもなく、札幌高裁は控訴を棄却。最終的に最高裁でも上告が退けられ、懲役9年の刑が確定しました。

最後まで罪を認めず、責任転嫁に終始した彼女の態度は、多くの人に強い不快感と怒りを与えたことでしょう。

池田莉菜被告の現在は?控訴審の行方と収監後の生活を考察

裁判の行方と共に多くの人が関心を寄せたのが、池田莉菜被告の「現在」でしょう。

最高裁まで争ったものの、最終的に懲役9年の実刑判決が確定した彼女は、今ごろ日本のどこかにある女性刑務所に収監され、罪を償う日々を送っているはずです。

前述の通り、彼女は一審の判決を不服として控訴しましたが、2021年4月、札幌高等裁判所は控訴を棄却。この時点で、司法は再び彼女の主張を退けました。

それでもなお、彼女は最高裁判所へ上告しましたが、これも棄却され、ついに判決が確定しました。これにより、彼女は「被告」という立場から、「受刑者」となったのです。

刑が確定した今、彼女は塀の中で規則正しい生活を送っていることでしょう。朝は決まった時間に起床し、工場での労働に従事し、決められた時間に食事をとる。

自由を奪われ、これまで自分勝手に生きてきた彼女にとっては、耐えがたいほどの苦痛かもしれません。

しかし、詩梨ちゃんが味わった空腹や、殴られる痛み、たった一人で暗い部屋に置き去りにされた恐怖と寂しさに比べれば、そんなものは何でもないはずです。

彼女にはこの9年間という時間の中で、自分が奪ってしまった小さな命の重さと、母親として犯した罪の大きさに、心の底から向き合ってほしいと願うばかりです。

刑期を終えて出所する頃、彼女はまだ30代前半。人生をやり直す時間は残されているかもしれません。

ですが、犯した罪の事実は一生消えませんし、「我が子を虐待死させた母親」という十字架を生涯背負っていくことになります。

社会復帰への道が極めて困難なものであることは間違いありません。それが、彼女が犯した罪に対する、当然の報いなのだと思います。

事件の舞台・札幌での評判と児童相談所の対応の問題点

出典:札幌刑務所

この事件がこれほどまでに人々の記憶に深く刻まれているのは、鬼畜のような犯人たちの存在はさることながら、事件の舞台となった札幌市の行政、特に児童相談所と警察の対応があまりにもお粗末で、機能不全に陥っていたからです。

はっきり言って、池田詩梨ちゃんの命は、救える機会が何度もあったにもかかわらず、大人たちの怠慢と無責任によって見殺しにされた。

これが、この事件に関する札幌での評判であり、決して消えない汚点だと思います。

それにしても、札幌…色々な事件が多いですね…。

事件が発覚するよりずっと前から、詩梨ちゃんの周りからはSOSのサインが絶えず発信されていました。

近隣住民は、アパートの一室から幼い子が長時間泣き叫ぶ声を耳にし、「虐待ではないか」と何度も通報しています。

また、詩梨ちゃんを預かっていた託児所の職員も、池田被告が何日も娘を迎えに来ないことから育児放棄を疑い、行政に連絡を入れています。これらは、いわば市民や専門家からの「警告」でした。

しかし、その警告を札幌市の児童相談所と警察はことごとく軽視し、最悪の結果を招いてしまったのです。

特に問題なのが、警察と児童相談所の信じがたいほどの連携不足と判断ミスです。

警察官は通報を受けて池田被告の自宅を訪問し、詩梨ちゃんの頬にアザがあることや、足の裏に火傷の痕があることを実際に目で見て確認していました。

にもかかわらず、池田被告が口にした「ヘアアイロンを踏んで火傷した」という、使い古されたような言い訳をいとも簡単に信じ込んでしまったのです。

そして、あろうことか児童相談所に対して「虐待は疑われない」と報告までしています。

これはもはや「性善説に立ちすぎた」などというレベルの話ではなく、専門家としての職務を完全に放棄した、許されざる失態と言えるでしょう。

一方で、児童相談所の対応も批判を免れません。警察から深夜の同行を要請された際に「当直態勢がない」という理由で断るなど、組織の都合を子どもの命よりも優先させる場面がありました。

出典:毎日新聞(札幌児童相談所)

「絶大な信頼があった警察に任せてしまった」という後日の言い訳には、開いた口が塞がりません。

彼らは信頼し合うのではなく、互いの専門性を持ち寄って疑い、連携して子どもを守るべきだったのです。

この事件は、札幌という大都市の児童保護システムに、致命的な欠陥があったことを白日の下に晒しました。

その結果、地元では行政に対する根深い不信感が生まれ、「あの事件は、親だけでなく行政にも殺されたようなものだ」という評判が定着してしまったように思います。

二度とこのような悲劇を繰り返さないためにも、この教訓は決して風化させてはならないのです。

スポンサーリンク

池田莉菜の生い立ちと現在・判決後の収監生活と事件の真相・まとめ

今回は、札幌2歳児衰弱死事件の池田莉菜元被告について、その人物像を多角的に掘り下げてきました。

SNSで見せた華やかな姿と、育児を放棄した母親という現実。その大きなギャップの背景には、両親との不和や経済的困窮といった複雑な生い立ちが見え隠れします。

しかし、どのような理由があれ、幼い命を奪った罪が許されることはありません。

さらに、この事件は周囲からの度重なるSOSを見過ごし、適切な介入を怠った行政の責任も極めて重いと言えるでしょう。

最後まで罪と向き合わなかった彼女は、現在、刑務所で罪を償っています。この悲劇を二度と繰り返さないためにも、私たちは事件の全容と教訓を心に刻む必要があります。

この記事はシリーズ「あの事件のその後」の一部です。
あの事件のその後|犯人と被害者の現在まとめ
あの事件のその後|犯人と被害者の現在まとめ

スポンサーリンク

スポンサーリンク

error: Content is protected !!
記事URLをコピーしました