天海祐希の宝塚時代の伝説7選!宝塚面接でもう二度とこないと発言
元宝塚という雰囲気も残しながら、現在では女優として多くの映画・ドラマに出演する天海祐希さんですが、宝塚時代の伝説が今もなお語り継がれていると言います。
厳しい宝塚の規則を変えるなど逸話も多く、天海祐希さんに憧れて宝塚を受験するタカラジェンヌの卵は後を絶たないとも言われています。
今回は宝塚時代に天海祐希さんが築いた伝説7選です。
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宝塚を変えた女・天海祐希伝説①宝塚を主席で合格
これはあまりにも有名な伝説ですが、天海祐希さんが宝塚を受験した年は1985年。
その年はなんと20倍の狭き門だったそうです。
しかし、天海祐希さんは宝塚を主席で合格。
ここまでは伝説とは呼べない普通のエピソードのような気がしますが…
なぜなら「時代の寵児」というのはどこの世界でもどの時代でもいるからです。
しかし、天海祐希さんの伝説はこの先があります。
本来1年目~7年目の新人が出演する舞台で、入団わずか10か月で主役抜擢当時は
「誰なの?この人?」
と会場は騒然となったそうです。
宝塚の新人出演の舞台は250名~から何人か選ばれますがたった10か月の無名の新人が主役とは本来あり得ないことだそうです。
この記録は未だに破られていない記録です。
さらにそれから6年後、これも異例の速さでトップスター就任となります。
宝塚受験時、天海祐希さんは面接試験官(審査員)に
「宝塚に合格してなければどうしましたか?」
と問われ。
「もう二度と来ません!」
と答えています。
おそらく宝塚の面接官は
「はい!また挑戦したいと思います!諦めません!」
※宝塚の受験チャンスは4回までです。
のような問答を聞きたかったのかとおもいますが…。
あまりにも歯切れがよく当時の審査官(試験管)は衝撃を受けたそうです。
そして、面接官は
「お母さん、この子を産んでくれてありがとう!」
と何故か天海祐希さんの母親に感謝。
もはや、神の子誕生と同じリアクション。
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宝塚を変えた女・天海祐希伝説②ファンの22時以降の出待ち禁止
天海祐希さんの凄いところは、「22時以降は出待ち禁止!」とファンに自分の口から伝えていたことです。
というのも、当時は宝塚の出待ちの女の子、女性を狙ったいかがわしい男性がうろついていたりしたことがあり、天海祐希さんはファンがそういう人間の手にかかったら心配だということで夜22時以降出待ち禁止にしたそうです。
昔の倫理観は今よりもずっとメチャクチャな時代でしたので、女性を守るという観点で天海祐希さんの正義感が働いたということ。
伝説というよりは「カッコいい」エピソードです。
宝塚を変えた女・天海祐希伝説③退団フィナーレの羽を拒否
天海祐希さんだけではなく、宝塚を退団するときは退団フィナーレで重さ10キロ以上ある大きな「羽」を付けて退団フィナーレを迎えます。
しかし、普段から小さ目の羽を好んで使っていた天海祐希さんはこれを「拒否」
理由は「重いから付けたくない」
結局、羽を付けず「退団フィナーレ」を迎えました。
どこまでも規格外です。
天海祐希さんだから許される事だし、天海祐希さんも
「私の退団フィナーレなのになんで私が嫌な事しないといけないんだ」
ぐらいの感覚だったのではないでしょうか?
宝塚を変えた女・天海祐希伝説④ファンに説教!
ファンに説教と言うと嫌なイメージが湧くかもしれませんが、天海祐希さんの場合は「ファンを想っての説教」です。
宝塚ではファンと交流を図るため定期的に「お茶会」が催されます。
お茶会の内容は普通のファンクラブと変わらず、ファンと写真を撮ったり喋ったりとですが、その中に写真撮影などでもたついて段取りが悪いファンがいると天海祐希さんはそのファンに「説教」
理由は「写真撮影などでもたついていたら私もファンの方も大事な時間を使ってお話する交流が短くなってしまう」
ということ。
天海祐希さんはファンとのコミュニケーションを大事にしていたようです。
これは非常に理解できます。
たとえば今の時代なら一人の人間が一人のアイドルの推しを写真撮影で独占してしまい、他のファンの方が交流する時間が短くなってしまうというのと同じですね。
ハッキリと説教する天海祐希さんはやっぱり男前です。
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宝塚を変えた女・天海祐希伝説⑤予科ピン廃止
宝塚の男役は外を出歩く時、必ず短い髪に髪跳ね止めようのピン、宝塚では通称「予科ピン」と呼ばれるものを持ち歩かないといけないし、短い髪が跳ねないように止めなければいけないというルールがあったそうです。
しかし、天海祐希さんはじめ他の宝塚上級生で後輩の「指導要綱」を作成時に
「そこまでしなくていいんじゃない?」
と宝塚の規則を改変してしまったという話。
これは非常に有名なエピソードですが、天海祐希さんが宝塚を退団して10年以上経過した今でも「天海祐希伝説」として宝塚生の間では語り継がれているそうです。
伝説は語り継がれてこそ伝説。
しかし、天海祐希さんはこの件について
「私だけが決めた事ではない」
「当時そんなことを言った気がした記憶はある」
と謙遜。
少なくても天海祐希が変えたと言われているので、その時からリーダーシップが強烈だったのだろうと想像できます。
普通は一般社会でもルール改変は難しいのですが、何故か簡単に規則を変えてしまえる天海祐希さん。
伝説級です。
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宝塚を変えた女・天海祐希伝説⑥宝塚のお正月の晴れ着撮影をジーパンで撮影
宝塚はお正月の撮影(グラフ歌劇)で晴れ着を着て撮影を行います。
しかし、天海祐希さんはこれも例に漏れず「拒否」
なんと当時の正月、宝塚グラフ歌劇の天海祐希さんは「ジーパンとYシャツ」です。
これに関しては理由は不明ですが、これを見た「夏美よう」さん(宝塚62期生 元花組・星組組長)は
「あんた、すごいな!!」と天海祐希さんを絶賛したそうです。
宝塚を変えた女・天海祐希伝説⑦美少女戦士セーラームーンのセーラーウラヌスのモデル
美少女戦士セーラームーンの「セーラーウラヌス」は天海祐希さんがモデルです。
これはセーラームーンの原作者・武内直子さんが語っているのでそれ以上のものはありませんが、セーラーウラヌスを見ると納得感がハンパないですね。
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天海祐希の宝塚時代に築いた伝説7選!規則を変えた逸話も!まとめ
基本的に天海祐希さんは人間としてかなり正義感が強く、ここまで活躍するのが当然の事のような人です。
彼女を嫌う人は男性・女性ともに皆無だと思います。
また、宝塚については天海祐希さんは自らあまりしゃべることはしないようです。
私があまり宝塚のことを話さないのは、あまりに自分にとって大切なものだからということもありますね。話すことによって、大切な思い出が薄まるような気がして。
引用:AERAインタビュー 天海祐希
昨今の事件を引き合いに、SNSでは「天海祐希さんがいれば宝塚はあんなことにならなかったのに…。」とも言われています。
この伝説を聞けばその意見にも納得ですね。
これからも活躍していく天海祐希さんに注目です!