平岡都さんの生い立ちと島根女子大学生バラバラ殺人事件|矢野富栄の素性
2009年に発生した島根女子大学生バラバラ殺人事件は、そのあまりにも残虐な手口から日本中を大きな恐怖と震撼の渦に巻き込みました。
被害に遭われた平岡都さんの生い立ちや、事件から7年という長い歳月を経て容疑者として特定された矢野富栄の素性については、今なお多くの関心と疑問が寄せられています。
長期間にわたり未解決事件として扱われた背景や、容疑者死亡という異例の結末を迎えることとなった経緯など、公式に判明している客観的な事実を詳しく解説します。
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- 島根女子大生死体遺棄事件の発覚とその異常なまでの残虐性の実態
- 平岡都さんの生い立ちとまじめで将来の夢に向かって歩んでいた大学生活
- 夜間における人通りの少なさとアルバイト先からの危険な帰宅ルート
- 遺体発見時の凄惨な状況と合同捜査本部による執念の遺留品捜査
平岡都さんの生い立ちや島根女子大学生バラバラ殺人事件と矢野富栄の概要
日本中の注目を集めたこの凄惨な事件の全体像や、被害に遭われた平岡都さんの生い立ちを正確に把握することは、悲劇の本質を理解する上で非常に重要です。
当時、どのような状況において事件が発覚し、警察がどのような初期捜査を行っていたのか、その足跡には多くの関心が集まり続けています。
ここでは、島根女子大学生バラバラ殺人事件の発端となった遺体の発見から、被害者の日常、帰宅ルートに潜んでいた危険性、そして犯人を特定する足がかりとなった遺留品の捜査について詳しく見ていきます。
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島根女子大生死体遺棄事件の発生
2009年(平成21年)11月6日。
広島県と島根県の県境近くに位置する、広島県山県郡北広島町の臥龍山(がりゅうざん)の山頂付近において、悲劇的な事件の幕が開くこととなりました。
その日、山へキノコ狩りに訪れていた一般の男性が、崖下の落ち葉の上に不自然に置かれている人間の頭部を発見し、驚愕して警察へと通報しました。
駆けつけた警察官が現場を確認したところ、被害者は女性であり、セミロングの髪型が判別できる状態で、首には鋭利な刃物で切断された痕跡が生々しく残されていました。
ただちに開始されたDNA鑑定の結果、この遺体は島根県浜田市において同年10月26日の夜から行方不明になっていた、島根県立大学総合政策学部の1年生・平岡都さん(当時19歳)であることが判明しました。
司法解剖による鑑定では、平岡さんの死亡推定時期は10月26日から31日頃とされ、消息を絶った直後、あるいは連れ去られたその日のうちに殺害された可能性が極めて高いという見立てが示されました。
島根県警と広島県警は即座に合同捜査本部を設置し、殺人事件および死体損壊・死体遺棄事件として、前代未聞の規模での大規模な捜査へと踏み出しました。
この事件は、全国的なニュースや主要なニュースサイトなどにおいて、「島根女子大生死体遺棄事件」や「浜田事件」、「浜田学生遺棄事件」など様々な呼称で連日報道されることとなりました。
事件が発生した島根県浜田市や遺棄現場となった北広島町の周辺地域は、日頃から凶悪犯罪とは無縁の非常に穏やかで治安の良い場所であったため、地域住民や大学関係者に計り知れない恐怖と動揺をもたらしました。 2012年10月26日には、死体遺棄罪単体での公訴時効(当時は3年)が成立したものの、捜査本部は時効のない殺人罪に切り替えることで、執念深く犯人の行方を追い続けました。
発生から長期間にわたって目撃情報や直接的な証拠が得られず、一時は迷宮入りが囁かれる未解決事件の様修を呈していましたが、警察による地道な裏付け捜査の灯が消えることはありませんでした。
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平岡都さんの人となりと大学生活
被害に遭われた平岡都さんは、香川県坂出市の出身であり、地元の高松商業高校英語実務科を卒業した後、2009年の春に夢を抱いて島根県立大学に入学したばかりの未来ある若者でした。
身長は147cmと小柄で細身の体格であり、周囲からはいつも明るく、海外留学の希望を胸に秘めた前向きな性格の持ち主として親しまれていました。
将来は「英語を実務で使える仕事に就きたい」という明確な夢を持っており、大学での授業を欠席することはほとんどなく、学業成績も極めて優秀であったことがゼミや語学クラスの教授たちから証言されています。
また、単に自分の夢を追うだけでなく、途上国の飢餓や貧困に苦しむ人々を救うためのボランティアサークルに所属し、精力的に活動する優しい心の持ち主でもありました。
大学生活が始まってからも、連休や盆休みなどのまとまった休み期間には必ず香川県の実家に帰省し、家族との団欒や触れ合いの時間を何よりも大切にしていた従順な娘でした。
交友関係は大学の同じクラスやゼミ、サークルの仲間、および生活費を補うためのアルバイト先に限られており、特定の異性との交際相手はいなかったとされています。
日頃からスマートフォンやメールで頻繁にやり取りをする相手も比較的少なく、警察へのストーカー被害の相談や人間関係の深刻なトラブルも一切確認されていませんでした。
平岡さんの出身地である香川県は、事件の発生現場や遺棄現場とは地理的に隣接していませんでしたが、地元のマスメディアはローカルニュース枠でこの事件を連日非常に大きく取り上げました。
卒業校である高松商業高校では、事件の発覚を受けて緊急の全校集会が招集され、全校生徒と教職員が静かに黙とうを捧げ、校長から悲痛な説明が行われました。
当時の元担任も記者会見の場で涙をこらえながら彼女の真面目な学生時代を語るなど、遠く離れた故郷にもたらした衝撃と悲しみは計り知れないほど深いものでした。
アルバイト先からの帰宅ルート
平岡都さんは、島根県浜田市内の中心部を一貫して東西に走るメインストリートである国道9号沿いのショッピングセンター内のテナントで、日常的にアルバイトをしていました。
事件が起きた2009年10月26日の夜、ショッピングセンターの多くのテナントは21時に閉店時間を迎え、従業員たちが次々と通用口から退店していく時間帯でした。
平岡さんはその日、店舗から出たごみを所定の場所へ持ち帰って処分する役割を担当しており、ごみ袋を提げた状態で21時15分頃に防犯カメラに最後の姿を残して1人きりで店を後にしました。
普段、彼女はアルバイト先から大学の敷地内にある女子寮までの道のりを徒歩で往復しており、地図上の直線距離としては約1.5kmと報道されることが多くありました。
しかし、実際に彼女が普段歩いていた徒歩ルートを正確に辿ると、直線的な道ではなく、極めて複雑で危険を伴う経路であったことが明らかになっています。
具体的には、途中で交通量の多い国道9号を横断し、街灯のまばらな住宅街や神社の境内を抜け、最終的には曲がりくねった暗い山道を登っていかなければなりませんでした。
実際の歩行距離は約2.3kmに達し、移動には徒歩で約30分ほどを要する、夜間には人通りがさっぱり途絶えてしまう蛇行した狭い道が続く場所でした。
平岡さんが退店した後、帰宅経路上に設置されていたコンビニエンスストア3店舗の防犯カメラ映像を精査したものの、彼女の姿は一切記録されていませんでした。
最もアルバイト先に近いコンビニは店舗からわずか450mほどの距離にありましたが、そこすら通過した形跡がないことから、退店直後の極めて早い段階で何らかのトラブルに巻き込まれたと推測されました。
捜査関係者が店舗の防犯カメラの秒単位の画像分析を行い、同じ時間帯に同じ方向へ帰宅した従業員らに事情聴取を行ったところ、「不審な騒ぎや車は見かけなかった」との証言が得られました。
平岡さんは、見知らぬ人物に安易についていくような警戒心の薄い性格ではなかったため、犯人は顔見知りの人物であったか、あるいは買い物客用駐車場などの死角で突発的に拉致された可能性が高いと判断されました。
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遺体発見時の凄惨な状況と捜査
臥龍山で最初の頭部が発見されたことを契機に、島根・広島の両県警による大規模な山岳捜索が展開され、平岡さんの遺体の一部が次々と見つかることとなりました。
11月7日には林道の入り口付近にある雑木林から左大腿骨の一部が、8日には最初の現場付近から両手足のない胴体部分が、9日には左足首が、 trenchesそして19日には野生動物の排泄物内から爪が発見されました。
司法解剖の結果、発見された遺体の状況は、通常の人間による犯行とは到底信じられないほど極めて凄惨かつ猟奇的な損壊が加えられていたことが明らかになりました。
頭部には激しい鈍器のようなもので殴打された痕跡があり、顔面全体が内出血で大きく腫れ上がっており、さらには左頬に靴や足で強く踏みつけられた跡が残されていました。
首や四肢の関節は、鋭利な小型の刃物や鋸、金槌のような工具を用いて執拗に切断されており、その解体の手口は非常に異様で残酷なものでした。
さらに、胴体の胸部は刃物によってえぐり取られており、腹部の内臓の大部分が消失しているなど、人権を徹底的に蹂躙するような損壊が行われていました。
胴体全体には焚き火や直接火をつけられたような激しい焼き跡があり、犯人が証拠隠滅を強く意図して死体を激しく焼損させようとした形跡が確認されました。
あまりの遺体の凄惨さに、初期の捜査会議では「人間ではなく、山林に生息する凶暴な野生動物によって食いちぎられたのではないか」という困惑の声が上がったほどでした。
この極めて特異な猟奇性と遺体の処理方法は、1991年に公開されてアカデミー賞を受賞したアメリカの有名な猟奇ホラー映画「羊たちの沈黙」に登場する知能犯の手口に酷似していると話題になりました。
映画の中で描かれる、被害者の皮膚を剥ぎ取り遺体を遺棄する猟奇的な精神科医の描写との類似性が、当時の週刊誌やインターネット上の掲示板で広く議論されることとなりました。
合同捜査本部もこの点を重視し、犯人がホラー映画や猟奇的な映像作品に強い影響を受けている可能性を考慮し、地域のレンタルビデオ店に対して特定のホラー映画の貸し出しリストの提供を要請するなどの捜査を展開しました。
遺留品から判明した犯人の足取り
広大な山林に遺棄されていたため、現場周辺から犯人に直結する遺留品を確保することは困難を極めましたが、平岡さんの胴体部分に付着していた極小のビニール片が重大な証拠となりました。
科学捜査研究所による精密な分析の結果、そのビニール片は、NTTが電話帳(ハローページやタウンページ)を各家庭に戸別配達する際に使用していた専用のポリ袋の一部であることが突き止められました。
この配布用のポリ袋は一見するとどれも同じように見えますが、実は配達された年度や対象となった地域によって、使用されているインクの化学成分や印刷された文字のデザインに明確な差異が存在していました。
合同捜査本部は包装資材の製造業者や流通のルートを徹底的に追跡し、インクに含まれる微量成分の配合パターンをデータと照合する作業を行いました。
その結果、付着していたビニール片は、1995年の初頭に広島県内の5つの市(三次市、安芸高田市、東広島市、呉市、三原市)に向けて実際に配達された電話帳の袋であるという驚くべき事実が判明しました。
この科学的な裏付けにより、犯人は1995年当時にこれらの地域に居住していたか、あるいはその地域に強い生活基盤があり、古いポリ袋を長年保管・入手できる環境にあった人物である可能性が極めて濃厚となりました。
さらに事件の発生から7年という長い歳月が経過した2016年12月になって、この特徴的なポリ袋が、のちに被疑者として特定される男の実家が存在する山口県下関市内でも同様に配布されていた事実が新たに確認されました。
この遺留品の流通ルートに関する執念深い捜査の成果が、最終的に特定された容疑者の実際の足跡や出身地、親族の居住地と完璧にリンクすることとなり、捜査の方向性が正しかったことが証明されました。
犯人は平岡さんを拉致した後、密室で遺体をバラバラに損壊し、この古いポリ袋に小分けにして詰め込み、臥龍山の林道を車で移動しながら窓から投げ捨てて遺棄したという凄惨な足取りが浮かび上がることとなりました。
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平岡都さんの生い立ちと島根女子大学生バラバラ殺人事件の矢野富栄の素性
事件発生から7年という長い歳月を経て、捜査線上に突如として浮上した矢野富栄容疑者。
彼がどのような生い立ちを辿り、なぜこのような猟奇的な犯行に及んだのか、その素性には多くの関心が集まっています。
一見すると真面目な営業マンとしての表の顔と、過去の重大な前科や冷酷な裏の顔のギャップ、地道な捜査で発見された証拠から事件の核心に迫ります。
矢野富栄容疑者の経歴と人物像
2016年12月に容疑者死亡のまま書類送検された矢野富栄容疑者(当時33歳)は、山口県下関市の出身であり、地元の小中学校に通う少年時代を送っていました。
中学校時代の同級生の証言によると、当時の矢野容疑者は「おとなしく真面目で、女性と話すのが少し苦手なタイプ」であったとされています。
体格は当時からがっちりとした筋肉質であり、中学校では陸上部に所属して熱心に活動していました。
また、実父が地域で柔道クラブの指導を行っていた影響もあり、小学校の頃から柔道にも親しんでいました。
学業成績も非常に優秀であったため、高校は北九州市内にある高名な私立の進学校へと進学しました。
高校時代も特に荒れた様子はなく、目立たないながらも文武両道を地で行くような青年期を過ごしていました。
将来を期待された彼は、難関である防衛大学校の試験にも合格していましたが、最終的には高校からの推薦入学という形で九州の工業大学へと進学を決めました。
しかし、大学へと入学したことを境に、それまでの大人しく真面目だった彼の生活態度や様子が大きく一変することとなりました。
路上での頻繁なナンパや、熱中し始めたバンド活動に明け暮れるようになり、学業を完全に疎かにした結果、大学を中退するという挫折を経験しました。
中退した後は定職に就くことなくアルバイトを転々とする自堕落な生活を送り、バンド活動もやめて一時期は上京して東京都内で暮らしていました。
そして、その東京に滞在していた時期に、彼は女性を狙った悪質な強制わいせつ事件を引き起こし、実際に刑務所に服役するという重大な前科を持つに至りました。
刑期を終えて出所した後は地元の山口県下関市へと戻り、住宅設備会社に無事に就職することができました。
会社では島根県益田市を拠点としたソーラーパネルの訪問営業を任されており、その勤務態度は非常に良好であったと伝えられています。
営業の成績も非常に優秀であったため、職場の同僚や社長からは、過去に重大な性犯罪の前科がある人物とは夢にも思われていませんでした。
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事件直後の交通事故死と無理心中説
平岡都さんの遺体が広島県の山中で発見されたというニュースが全国に流れた2009年11月6日の夜、矢野容疑者は勤務先の社長に連絡を入れていました。
彼は「実家に帰る用事があるため、2日間会社を休ませてほしい」と不自然なタイミングでの休暇を願い出ていました。
そし休暇の2日目にあたる11月8日、山口県美祢市の中国自動車道下り線において、矢野容疑者が運転する乗用車がガードレールに激しく衝突する死亡事故が発生しました。
衝突に伴い車両は一瞬にして激しく炎上し、運転していた矢野容疑者本人と、助手席に同乗していた実の母親の2人が車内で焼死するという悲劇的な結末を迎えました。
当日は、事件の数年前に亡くなっていた実父の墓参りのために山口県萩市を訪れ、その帰路についた途中の出来事であったとされています。
この事故に関して、道路を走行していた他のドライバーから「ガードレールにぶつかる前の段階から、すでに車体から激しく炎が出ていた」という極めて不可解な目撃証言が寄せられました。
この異様な事故の状況から、事件の発覚によって警察の捜査が自らに及ぶことを恐れ、母親を巻き込んだ上での意図的な無理心中(自殺)を図ったのではないかという説が浮上しました。
一方で、車両の突発的なメカニクストラブルや電気系統の異常による車両火災が原因であり、純粋な不慮の事故であったとする見方も根強く存在しています。
いずれにせよ、事件の直後に犯人がこの世を去ってしまった事実が、その後の警察の捜査を長期間にわたって難航させる最大の要因となりました。
犯人による直接の供述を得る機会が完全に失われたため、事件の具体的な動機や詳しい犯行の経緯については、現在も多くの謎が残されたままとなっています。
遺品から見つかった57枚の画像
長年にわたり有力な手がかりが得られず未解決事件の様相を呈していましたが、2016年の夏頃に捜査本部は矢野富栄容疑者の存在に辿り着きました。
同年10月、警察は矢野容疑者の親族から、容疑者が生前に使用していたデジタルカメラとUSBメモリの任意提供を受けることに成功しました。
これらは容疑者の死亡後、荷物が整理された際に関係先の自宅へと移され、長期間にわたってそのまま保管されていたものでした。
警察の科学捜査班がこれらの記録媒体に残されていた過去のデータを解析し、削除されていた画像の復元作業を試みました。
その結果、記録媒体の内部から、平岡都さんの遺体が写ったものを含むおぞましい証拠画像が計57枚も検出されることとなりました。
画像には、矢野容疑者が当時居住していた島根県内の自宅アパートの室内において、平岡さんの遺体を損壊する前後の様子が克明に記録されていました。
さらに、遺体の切断や損壊に実際に使用されたとみられる具体的な文化包丁の画像や、遺体の傍らに写り込んだ矢野容疑者自身の足なども確認されました。
データの内容を詳細に分析したところ、矢野容疑者は平岡さんを拉致して殺害した後、約1時間半にわたって自らの凶行をデジタルカメラで撮影していたことが判明しました。
この57枚の画像データは、犯行の事実を生々しく立証する上での決定的な「客観的証拠」となり、それまでの捜査内容とも完全に一致しました。
被疑者がすでに死亡しているため直接の逮捕は叶いませんでしたが、警察は2016年12月20日、殺人と死体損壊、死体遺棄の容疑で矢野容疑者を容疑者死亡のまま書類送検しました。
デジタルカメラに残されていた過去の画像データの復元が、事件発生から7年という歳月を経て真相を解明する最大の決め手となりました。
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参考人となった周囲の人々の二次被害
島根女子大学生バラバラ殺人事件が解決を迎えるまでに要した7年という長い歳月は、事件とは全く無関係な無実の周囲の人々に対しても、重大な二次被害をもたらしました。
当時、警察は犯人の足取りを掴むために非常に多くの関係者や周辺住民を「参考人」としてリストアップし、連日のように事情聴取を行っていました。
平岡さんと同じ大学のキャンパスに通っていた大学院生のA氏も、その執念的な捜査の対象となった参考人の一人でした。
A氏が捜査対象となった理由は、遺棄現場へと続く高速道路に設置されたNシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)に、たまたま彼の所有する車両の走行記録が残っていたためでした。
刑事は突然A氏の自宅へと押し寄せ、室内の風呂場を入念にチェックしただけでなく、「家にあるすべての刃物を見せてほしい」と要求し、ナタや包丁の形状を厳しくチェックしました。
警察側は密かに捜査を行っていると主張していましたが、度重なる刑事の訪問はすぐに近所や学校の知る所となりました。
学内では「Aが犯人らしい」という根も葉もない噂がまたたく間に広がり、彼が姿を見せるたびに周囲から「犯人が来た」などと露骨にからかわれる社会的な孤立を経験しました。
また、平岡さんから相談を受けて善意で新しいアルバイト先を紹介しただけの友人であるB氏も、警察から事件の事情を知っているのではないかと強く疑われました。
B氏は何度も警察署に呼び出されて厳しい事情聴取を受けることとなり、その事実が学内で噂の的となった結果、周囲の視線や扱いに耐えかねて翌年に大学を中退する事態に追い込まれました。
矢野容疑者の書類送検後にA氏は、「犯人が見つかったことは良かったが、もっと早く分からなかったのかという思いが強く、警察から犯人扱いされ続けた7年間の憤りは今も消えない」と苦しみを吐露しています。
遺族が発表したコメントと現在の心境
2016年12月に捜査本部から犯人特定と書類送検の報告を受け、平岡都さんの遺族は警察を通じて、胸の内を明かした公式なコメントを発表しました。
発表された書面には、長年にわたって捜査を諦めずに続けてくれた警察関係者に対する深い安堵と謝意の言葉がまず綴られていました。
しかし、事件の全容が明らかになった一方で、特定された犯人である矢野富栄容疑者がすでに死亡しているという過酷な現実に直面することとなりました。
遺族は「犯人が見つかったという安堵感はありますが、私たち家族には言葉では表現できない怒り、悲しみ、憎しみ、苦しみをぶつける先がありません」と、行き場のない深い無念さを告白しました。
もし容疑者が生存していれば、刑事裁判の場において直接その罪を問い、詳細な動機や拉致の経緯を自らの口から明らかにし、法の厳罰に処することが可能でした。
しかし、容疑者死亡という結末によってその機会は永遠に失われ、遺族の受けた精神的な苦痛や葛藤は宙に浮いたまま取り残される形となりました。
書類送検の報道が行われた際、マスメディアの記者たちが香川県内にある平岡さんの実家へと再び押し寄せ、取材を試みようとしました。
しかし、遺族は玄関のドアを閉めたまま、すりガラスの向こうから「取材は一切お断りしています。全て警察の方にお任せしていますので」と静かに、しかし毅然とした態度で応対を拒否しました。
あたりが深く静まり返るなか、平岡さんが生前によく散歩をさせて可愛がっていたという愛犬の鳴き声だけが、闇夜の実家に寂しく響き渡っていました。
最愛の娘の命を理不尽に奪われ、その犯人を法で裁くことすら叶わなかった家族の心の傷は、どれほどの年月が流れようとも決して完全に癒えることはありません。
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平岡都さんの生い立ちと島根女子大学生バラバラ殺人事件|矢野富栄の素性・まとめ
平岡都さんの生い立ちや島根女子大学生バラバラ殺人事件の全容、被疑者・矢野富栄の素性を解説しました。
遺品の写真データから犯行が特定されたものの、容疑者死亡により刑事裁判は開かれず、遺族には行き場のない深い無念と悲しみが残されることとなりました。